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原発再稼働は許されない!

 今回は、アメリカ、スリーマイル島原発(以下、スリーマイル)事故を思い出してみましょう。1979年3月にこの事故は起きました。原発の危険性を考える上で決して忘れてはならない大事故です。その理由は事故原因にあります。福島原発事故は、巨大地震と大津波で、いくつもの安全装置(たとえば4台あった緊急時電源ディーゼル発電機)が津波という共通要因で全て使えなくなって電源が失われ、冷却水を炉心に送り込むポンプがアウト、こうなってはもはや炉心溶融も防ぎようがないという原因によるものでしたが、スリーマイルは違います。それは数ある蒸気逃し弁の中のたった1個の弁の故障で始まりました。それは圧力容器内の温度の上昇で発生する蒸気を弁の開閉によって炉内圧力を調整するための装置です。作動原理はバネ式で、原始的ですが圧力が上がれば開いて蒸気を逃がし、下がれば閉じる確実な作動が保証されているはずのものでした。この蒸気逃がし弁の一つが原因は分かりませんが開いたまま閉じなくなって蒸気が逃げ続けました。時間の経過で圧力容器内の水位は下がります。そして、一定の水位を切ったところで、こうした場合に水を強制的に炉心に注入し炉心水位を保つために設けられていた安全装置、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動し、炉心に水が注入されました。すると、今度は、炉心水位の状況を中央制御室に知らせるために設けられていた加圧器水位計が上に振り切れてしまう事態となりました。これでは注入水による過圧状態で圧力容器が危険になります。そこで、運転員はECCSを手動で止めます。弁は開きっぱなしですから、水位が下がりECCSが作動し、運転員はまたECCSを停止します。こうしたことを繰り返すうちに、炉心の燃料棒が露出して最終的には燃料棒の約半分が溶け落ちてしまいました(メルトダウン)。福島と同じですが、最後に運転員が弁が開きっぱなしであることに気付いて閉じたことで、溶融燃料が圧力容器から抜け落ちるところまではいかず大惨事にはならずにすみました。ところが、政府が派遣した事故調査委員会の報告書の事故原因に関する結論はなんと運転員のミス、日本の運転員はよく教育訓練されていて、このような事故に至ることはないというものでした。報告書は、運転員は当時のあらゆるデータを総合的に考慮すれば、原子炉の状態を的確に把握できたはずだというのです。

 蒸気逃がし弁の開閉を示す中央制御室のパネルは、開いているにも関わらず「閉」と表示されていました。そして、加圧器水位計も間違いなく振り切れていました。運転員は原子炉の破滅的危機を回避するために教えられたとおりの措置をとっていたにすぎません。しかし、事故後の調査で判明したことで言うと、パネルの「閉」は「閉じよ」の電気信号がでていることを示すもので、実際に閉じているかどうかは分からないという代物でした。加圧器水位計も、蒸気が大量に含まれてしまうと液状の水の水位は正確には測れなくなることも分かりました。こうしたことを根拠に原発推進を維持したい人たちは運転員の判断と操作を責めることで、事故の影響を最小限に抑えようと企図したのですが、それまでの原発安全宣伝の柱、フェイルセーフ(人間の誤操作、機械の誤動作を阻止する構造)にも、フールプルーフ(誤操作誤作動があっても安全側に自動的に修復される構造)にも全くなっていないことを棚にあげたあまりに無責任な言い分でした。命にもかかわる放射線高のアラームが鳴り続ける中央制御室で、不完全な機器を与えられて(「閉じよ」の指示が出ているのに閉じているかどうかは分からない)、どの表示が事態を正確に伝え、どれが信用できないのか、そこから考えなければならないような情報をもとに一体誰に正しい状況把握ができるというのでしょうか 運転員たちはその後もずっと「同じ状況に置かれたらECCSの停止など同じ措置をとる」と怒っています。

 このように、原発の大事故というものは、思いもよらぬ些細な原因からも引き起こされるし、そこにいくつかの機器の不備、不具合が加わることで取り返しのつかない事態へと発展してしまうのです。スリーマイルはそのことを教えています。人間は完全ではないし、機械も故障することがむしろ普通です。原発再稼働は許されません。

原発再稼働は許されない!

福島事故の実際の姿は細部についてはいまだに不明とされています。しかし、本当にそうなのでしょうか。東京電力が情報を小出しにすることで事故の真相を分かりにくくしている側面もありそうです。事故から4年の経て、格納容器の蓋のシールが300度の熱に耐えられず破損してそこから水素ガスなどが原子炉建屋に漏洩したという事実がようやく公表されました。あの鉄筋コンクリートの屋根を吹き飛ばした水素爆発を覚えておられるでしょう。あの水素爆発とこの公表事実を結び付けてみると、あの事故の極めて重大な問題点がいくつも見えてきます。事故当時原子力村の学者たちがテレビで「まだ最後の防壁、格納容器が健全だから大丈夫だ」とギリギリまで叫び続けていました。そのとおり、格納容器は燃料溶融、圧力容器や配管の破損などで漏れる放射能をその内に閉じ込め国民を放射能から守る最後の防壁と言われていました。格納容器の気密性は安全上最重要ランクに属するものです。炉心で発生した水素は一体どこから原子炉建屋に漏れたのか、格納容器のベント(圧力を逃がすための気体の放出)の際に漏れた等いろいろ言われてきました。何と、蓋のシールの耐熱性の不足です。肝心かなめの機器に致命的な欠陥がありながら気づかれることもなく何十年も原発が運転されていたのです。背筋が寒くなるような事実ですが、数年の時間差がショックを和らげます。実に巧妙かつ狡猾な公表の仕方だと思います。

 でも、全く皮肉なことですが、この不具合が福島原発事故の被害を軽くしてくれたのです。格納容器には水素を酸素と再結合させて水に戻す再結合機が備えられていますが、これが全電源喪失で使えませんでした。格納容器内で水素爆発が起きれば重要配管そして圧力容器すら危ない。チェルノブイリの二の舞になるところでした。原子炉建屋に漏れてよかった。そして。さらに爆発してくれてよかったのです。水素爆発が建屋の屋根を吹き飛ばしてくれたおかげで建屋最上階に作られていた使用済み燃料プールの冷却が可能になったのです。ヘリが海水をくみ上げ投下し、消防車がむき出しになったプールに放水した映像を思い出して下さい。それで使用済み燃料プールの冷却が可能になったのです。それがなければ使用済み燃料が溶融していました(水を循環させて冷却し続けなければ、放射性物質の分解熱=崩壊熱で温度が際限もなく上昇します)。関東全域が危うくなると心配した菅直人首相の当時の懸念こそが事故の実情をとらえていたのです。高い放射線量の原子炉建屋には入れません。屋根にダイナマイトで穴をあける勇気を持てる者があの時いたでしょうか。安全審査では「想定不適当」とされた水素爆発、これもまた不幸中の幸い、大変な幸運でした。この幸運を無駄にしてはいけないのです。原発再稼働、とんでもありません。

 

 

 

柏崎刈羽原発の再稼働阻止!

 私にできること、もはやそう多く残されているとは思えない。ただ、今回思いついたブログの記事で、柏崎刈羽の人たちに、「何とか原発再稼働を止めさせてほしい」そのメッセージを伝えることはできそうだ。わずかばかりの原発に関する基本的知識と運動経験でも、その中に少しは、原発の危険性や様々な問題点について柏崎の人たちの注意を喚起することのできる何かはあるのではないか、そうと信じて。

 今回は、あの「あっちの方でよかった」件。今村復興相が「あっちでよかった」発言で「いきなり首を切られた」(二階自民党幹事長)。この発言に自民党の政治家たちも怒り、安倍首相の即断即決に拍手の向きもあるが、果たしてそうか? 大震災によって引き起こされた原発事故に関して言えば、原発の立地を「あっちにしよう」と言い、全部「あっち」に作ってきたのは原発を推進してきた自民党政権そのものだ。彼ら全員が、実際のところは、現実に発生した巨大事故を目の前にして「やっぱりあっちに作っておいてよかった」と考えているに違いないのだ。その原発立地の根本問題に国民の目が向くのを恐れての即断即決ではなかったのか。私にはそう思える。

 原発の立地条件について、かつて「原子炉立地審査指針」があった。「新規制基準」のもとでの扱いがもう一つハッキリしないが、今ある原発はみなこの「立地指針」に基づいて建設されてきた。

 指針2「立地審査の指針」は、原発と人との距離に関する規制で、その1は「非居住区域」にすべき範囲、2は「非居住区域の外側は低人口地帯であること」、3は「原子炉の敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」と定められている。そして「ある距離」の判断基準として、被ばく線量「何万人sV・・」が例示されている(仮想事故のもとで、その地域全体として人々がどのくらいの被ばくをするかを示す数値で、周辺人口が多いだけで数値は高くなり立地不適当となる)。

 常識的には、その意図は明白である。万一の事故の場合に被害が大きくなる場所に原発を作ってはならないということだ。それが分かっているからこそ「あっちにつくる」のである。しかし、この常識が裁判所にも通じない。私の経験した裁判での国の言い分は「仮想事故は実際に起こることを想定したものではなく、確実に大事故の発生を防止できること、安全装置の機能を検証するために仮に想定するに過ぎないもの」「立地指針で仮想事故を使うのも、全国の立地条件を共通のものとする、それだけの目的で、実際の事故発生を想定したものではない」であった。ビックリしてのけぞってしまいそうな主張だが、裁判所もこの主張をそっくり引用し、国の主張そのままに「安全審査で炉心溶融などの大事故の発生は想定しなくてよい」と判決文に書き込んだ。 もちろん、規制当局も裁判所もみんな本気でそう信じこんでいるわけではなく(と思いたい)、炉心溶融事故の発生を想定した途端に、事故を安全に収束できる方策などはなく、建設も再稼働もすべて不許可とせざるを得ないから、「想定不適当」で頑張るしかないのが本音ではあろうが。実際に起きた事故は、その「仮想事故」をはるかに上回り、取り返しのつかない大惨事を福島にもたらした。

 福島の人々はふるさとを追われ何十年も放射能の恐怖から解放されることがない。原発の抱える危険の本質は、国が最初から分かっていたように、「新規制基準」のもとでも何も変わっていない。「あっちだからいい」。安倍首相、自民党の言いなりになって、原発再稼働を認めてしまっていいのかどうか? 幸い米山知事の登場で、最低でも4年の時間は保証されたようにみえる。この間に住民の意識を変えていくことができるかどうかが勝負です。

 今村復興相が「あっちでよかった」発言で「いきなり首を切られた」(二階自民党幹事長)。この発言に自民党の政治家たちも怒り、安倍首相の即断即決に拍手の向きもあるが、果たしてそうか? 大震災によって引き起こされた原発事故に関して言えば、原発の立地を「あっちにしよう」と言い、全部「あっち」に作ってきたのは原発を推進してきた自民党政権そのものだ。まだ懲りずに再稼働を進めようという彼らのこと、彼ら全員が、実際のところは、現実に発生した巨大事故を目の前にして「やっぱりあっちに作っておいてよかった」と考えているに違いないのだ。その原発立地の根本問題に国民の目が向くのを恐れての即断即決ではなかったのか。私にはそう思える。

 原発の立地条件について、かつて「原子炉立地審査指針」があった。「新規制基準」のもとでの扱いがもう一つハッキリしないが、今ある原発はみなこの「立地指針」に基づいて建設されてきた。

 指針2「立地審査の指針」は、原発と人との距離に関する規制で、その1は「非居住区域」にすべき範囲、2は「非居住区域の外側は低人口地帯であること」、3は「原子炉の敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」と定められている。そして「ある距離」の判断基準として、被ばく線量「何万人sV・・」が例示されている(仮想事故のもとで、その地域全体として人々がどのくらいの被ばくをするかを示す数値で、周辺人口が多いだけで数値は高くなり立地不適当となる)。

 常識的には、その意図は明白である。万一の事故の場合に被害が大きくなる場所に原発を作ってはならないということだ。それが分かっているからこそ「あっちにつくる」のである。しかし、この常識が裁判所にも通じない。経験した裁判での国の言い分は「仮想事故は実際に起こることを想定したものではなく、確実に大事故の発生を防止できること、安全装置の機能を検証するために仮に想定するに過ぎないもの」「立地指針で仮想事故を使うのも、全国の立地条件を統一するそのためだけの目的で、実際の事故発生を想定したものではない」であった。ビックリしてのけぞってしまう主張だが、裁判所もこの主張をそっくり引用し、国の主張そのままに「安全審査で炉心溶融などの大事故の発生は想定しなくてよい」と判決に書き込んだ。 もちろん、規制当局も裁判所もみんな本気でそう信じこんでいるわけではく、炉心溶融事故の発生を想定した途端に、事故を安全に収束できる方策などはなく、建設も再稼働もすべて不許可とせざるを得ないから、「想定不適当」で頑張るしかないのが本音ではあろうが。実際に起きた事故は、その「仮想事故」をはるかに上回り、取り返しのつかない大惨事を福島にもたらした。

 福島の人々はふるさとを追われ何十年も放射能の恐怖から解放されることがありません。原発の抱える危険の本質は、国が最初から分かっていたように、「新規制基準」のもとでも何も変わっていません。「あっちだからいい」。安倍首相、自民党の言いなりになって、原発再稼働を認めてしまって本当にいいのですか?

福島事故の実際の姿は細部についてはいまだに不明とされています。しかし、本当にそうなのでしょうか。東京電力が情報を小出しにすることで事故の真相を分かりにくくしている側面もありそうです。事故から数年後に、格納容器の蓋のシールが300度の熱に耐えられず破損してそこから水素ガスなどが原子炉建屋に漏洩したという事実が公表されました。あのコンクリートの屋根を吹き飛ばした水素爆発を覚えておられるでしょう。あの水素爆発とこの公表事実を結び付けてみると、あの事故の極めて重大な問題点がいくつも見えてきます。事故当時原子力村の学者たちがテレビで「まだ最後の防壁、格納容器が健全だから大丈夫だ」とギリギリまで叫び続けていました。そのとおり、格納容器は燃料溶融、圧力容器や配管の破損などで漏れる放射能をその内に閉じ込め国民を放射能から守る最後の防壁と言われていました。格納容器の気密性は安全上最重要ランクに属するものです。炉心で発生した水素は一体どこから原子炉建屋に漏れたのか、格納容器のベント(圧力を逃がすための気体の放出)の際に漏れた等いろいろ言われてきました。何と、蓋のシールの耐熱性の不足です。肝心かなめの機器に欠陥がありながら気づかれることもなく何十年間も原発が運転されていたのです。背筋が寒くなるような事実ですが、数年の時間差がショックを和らげます。実に巧妙かつ狡猾な公表の仕方だと思います。

 でも、全く皮肉なことですが、この不具合が福島事故の被害を軽くしてくれたのです。格納容器には水素を酸素と再結合させて水に戻す再結合機が備えられていますが、これが全電源喪失で使えませんでした。格納容器内で水素爆発が起きれば重要配管そして圧力容器すら危ない。チェルノブイリの二の舞になるところでした。原子炉建屋に漏れてよかった。そして。さらに爆発してくれてよかったのです。水素爆発が建屋の屋根を吹き飛ばしてくれたおかげで建屋最上階に作られていた使用済み燃料プールの冷却が可能になったのです。ヘリが海水をくみ上げ投下し、消防車がむき出しになったプールに放水した映像を思い出して下さい。それで使用済み燃料プールの冷却が可能になったのです。あれがなければ使用済み燃料が溶融していました(水を循環させて冷却し続けなければ、放射性物質の分解熱=崩壊熱で温度が際限もなく上昇します)。関東全域が危うくなると心配した菅直人首相の懸念こそが正常だったのです。原子炉建屋には入れません。屋根にダイナマイトで穴をあける勇気を持てる者があの時いたでしょうか。水素爆発、これもまた不幸中の幸い、大変な幸運でした。この幸運を無駄にしてはいけないのです。原発再稼働、とんでもありません。

 数ある政治課題の中で私の最大の関心は今もって原発です。あの福島を経験しながら、なおも原発再稼働を平気で口にし、再稼働を受け入れることのできる人たちがたくさんいます。政治家などは自らの頭で考えることは端から放棄し、ただただ、どういういい方をすれば国民を言いくるめられるかが唯一の関心事のようです。「世界一厳しい新規制基準」・・・福島は特別なケース、例外的な事故で、この日本では二度と起こらない事故であるかのような思い違いが原発立地点では優勢の感すらあります。雇用の問題やら地域経済の方が事故発生の危険の心配と同列かその上位に来てしまうのですから。避難訓練をしてでも原発再稼働を受け入れる人たちがいるのですから。

 あの悲劇を二度と繰り返さないために、私にも何かできることはないのかと考えた末に、一つこのブログの作成に思いあたりました。専門知識においては科学者のそれに遠く及びませんが、素人ながら裁判等のためいろいろ勉強して蓄えた基本的な知識はあります。私程度の理解の方が、一般の人たちの原発の危険性等の理解にはむしろ資することも多いのではないか、そんな勝手な考えから、その危険性を中心に原発をめぐる様々な問題点について素人なりの問題提起を発信していこうと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。