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柏崎刈羽原発の再稼働阻止!

 私にできること、もはやそう多く残されているとは思えない。ただ、今回思いついたブログの記事で、柏崎刈羽の人たちに、「何とか原発再稼働を止めさせてほしい」そのメッセージを伝えることはできそうだ。わずかばかりの原発に関する基本的知識と運動経験でも、その中に少しは、原発の危険性や様々な問題点について柏崎の人たちの注意を喚起することのできる何かはあるのではないか、そうと信じて。

 今回は、あの「あっちの方でよかった」件。今村復興相が「あっちでよかった」発言で「いきなり首を切られた」(二階自民党幹事長)。この発言に自民党の政治家たちも怒り、安倍首相の即断即決に拍手の向きもあるが、果たしてそうか? 大震災によって引き起こされた原発事故に関して言えば、原発の立地を「あっちにしよう」と言い、全部「あっち」に作ってきたのは原発を推進してきた自民党政権そのものだ。彼ら全員が、実際のところは、現実に発生した巨大事故を目の前にして「やっぱりあっちに作っておいてよかった」と考えているに違いないのだ。その原発立地の根本問題に国民の目が向くのを恐れての即断即決ではなかったのか。私にはそう思える。

 原発の立地条件について、かつて「原子炉立地審査指針」があった。「新規制基準」のもとでの扱いがもう一つハッキリしないが、今ある原発はみなこの「立地指針」に基づいて建設されてきた。

 指針2「立地審査の指針」は、原発と人との距離に関する規制で、その1は「非居住区域」にすべき範囲、2は「非居住区域の外側は低人口地帯であること」、3は「原子炉の敷地は、人口密集地帯からある距離だけ離れていること」と定められている。そして「ある距離」の判断基準として、被ばく線量「何万人sV・・」が例示されている(仮想事故のもとで、その地域全体として人々がどのくらいの被ばくをするかを示す数値で、周辺人口が多いだけで数値は高くなり立地不適当となる)。

 常識的には、その意図は明白である。万一の事故の場合に被害が大きくなる場所に原発を作ってはならないということだ。それが分かっているからこそ「あっちにつくる」のである。しかし、この常識が裁判所にも通じない。私の経験した裁判での国の言い分は「仮想事故は実際に起こることを想定したものではなく、確実に大事故の発生を防止できること、安全装置の機能を検証するために仮に想定するに過ぎないもの」「立地指針で仮想事故を使うのも、全国の立地条件を共通のものとする、それだけの目的で、実際の事故発生を想定したものではない」であった。ビックリしてのけぞってしまいそうな主張だが、裁判所もこの主張をそっくり引用し、国の主張そのままに「安全審査で炉心溶融などの大事故の発生は想定しなくてよい」と判決文に書き込んだ。 もちろん、規制当局も裁判所もみんな本気でそう信じこんでいるわけではなく(と思いたい)、炉心溶融事故の発生を想定した途端に、事故を安全に収束できる方策などはなく、建設も再稼働もすべて不許可とせざるを得ないから、「想定不適当」で頑張るしかないのが本音ではあろうが。実際に起きた事故は、その「仮想事故」をはるかに上回り、取り返しのつかない大惨事を福島にもたらした。

 福島の人々はふるさとを追われ何十年も放射能の恐怖から解放されることがない。原発の抱える危険の本質は、国が最初から分かっていたように、「新規制基準」のもとでも何も変わっていない。「あっちだからいい」。安倍首相、自民党の言いなりになって、原発再稼働を認めてしまっていいのかどうか? 幸い米山知事の登場で、最低でも4年の時間は保証されたようにみえる。この間に住民の意識を変えていくことができるかどうかが勝負です。